通学路の小さな池から大変な物が飛び出したヽ(*゚O゚)ノ
2012/11/28/00:15(水)
私の中学生時代は元軍需工場跡を整地した道が通学路でした。
そこここに何人かの人がクズ鉄等を掘っている姿も見る事も
ありました。
終戦の年は私は1歳10ヶ月でしたから直接戦争と言う物の想い出は
ありません。私の身の上には戦争による影響はすでに4歳の頃から
受けていましたが、戦争の恐ろしさの実感はありませんでした。
みんなゾロゾロとその軍需工場跡を整地した舗装なしの道を
学校まで毎日徒歩で通いました。その道には幾つも小さな池と
言うか大きな水たまりが点在していました。
ある日の下校時、その中の
一つの小さな池に3本の
太い丸太でヤグラ組んで中央
に滑車を取りつけ何人もの
オジサンが作業をしています。
下校中の中学生はみんな
興味しんしんで池を取り囲みました。
オジサン達は別に私達を追い払う事もありませんでした。
池の水はポンプで汲み出されたのか殆んどありませんでした。
じーっと見ていると滑車に吊るされたロープだったか鎖だったか
の先に括り付けられた細長い物体がボコボコボコ~ッと出て来ました。
何と直径20cm~30cm位で長さ70cm~1m位の弾丸が出て来ました
完全な形です。みんなは「弾や・弾や」と囁き合いました。
その弾を取り出して池のはたに置くと弾と一緒に大きな「どじょう」
が飛び出してピチピチはねました。見た事もない大きさです。
太さ2cm位で長さは17・8cmはありました。みんなそれには
「でかっ!」と声を挙げました。そんな「どじょう」はめったに
見た事がありません。
その内 私達は何事も無かった様にそれぞれ家路につきました。
今、思い起こせば、現在ならば大騒ぎになる事だろうと思います。
その頃は昭和32年頃でした。
今調べて見るとその大きさは400~500ポンド爆弾くらい
だろうと思います。中学生の目測ですから確かな事は
言えませんが・・・
最近でも私が目撃した物より小さい物でも大騒ぎになった
ニュースもありました。
又他にも今年の10月29日でも仙台空港で発見されました。
丁度私が見た物と同じ位の不発弾ですそれで全便欠航になった
ニュースはマダ記憶に新しい物です。
こんなニュースに出会う度に
(あの時の弾丸は何の危険も無かったのかなぁ~)と思い出します。
あの頃の時代、危険だと言う認識がなかったのか・無頓着だったのか
知らないと言う事の恐ろしさは計り知れません。中学生が大勢
その作業を取り囲んで見学したと言う事実・・・
こわ~っ(((゚Д゚)))ブルブル
2012/11/28/00:15(水)
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