スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

にほんブログ村 シニア日記ブログへ

昭和の板前と平成の国会議員も使いこなすのは至難の技!ё


私は長い間、商いをした期間の一時期 割烹を手掛けた時が4年位あった。元々和食を
扱っていたので店名はそのままで 大改装をして始めた。私は酒呑が大嫌いだから
気は進まなかった。しかし 主人はやりたい と いったので仕方なく従った。

もちろん、宴会等もあった。私も和服を着て髪もキリリと結いあげてお座敷にも出た。
私は人から「ママ」と呼ばれるのはとっても抵抗があったので子供達に相談した。
「お母ちゃんなー ママと呼ばれるのん嫌いやねん。どうしたらええやろ・・・」
すると長女が言った「お母ちゃん、女将さんと呼んでもらったら・・・それがええわー」 
 
 
私「そうやな ほな そう呼んでもらおっ」と決まった。
時は 好景気の真っ只中 気が狂うほど忙しかった。

昼は昼で本業の仕事 の寿司と仕出しが待っていた。
ブログ開設当初は 業種は明かさない と言っていたが
明かさない方が 支障が出て来たので カミングアウト

規模が大きくなったので、従業員や板前も増員
それからが大変だった。主人も私も職人だった。
主人は寿司と和食全般、私は煮方と油方(揚げ物)
それが強みでもあった。しかし

うまくやるには板さんに任せねばならない。
料理職人にも色々あって、和食の職人を(おき)と
言う、字は知らない。(沖?)

寿司職人は名の通り、職人達は(おき)の職人さん
には 一目置いた。職人達は 雇用契約が成立すると
当然、当店の従業員にはなるんですが、彼らは
「部屋」と呼ばれる調理師紹介所に属する。そう、今で言う派遣社員と言うところだ・・・
もちろん「部屋」に属さない職人さんもいる。

今話すのは現在ではありません。当時の話(30年前) 初出勤の日、果たして板さんに
当店が お気に入ってもらえるか どうかです。厨房に立って1時間程で
「すんまへん上がらしてもらいます。」なんてめずらしくもない。上がる=辞めるだ

こちらも驚きもしない「そうだっか・・・」と言って経費を支払って お引き取り頂く。
1年近く勤めたとしても、何か気に食わない事があれば当日にサッサと荷物をまとめて
「すんまへん上がらしてもらいます。」
もちろんこんな人ばかりではない、とっても
常識も 有り 穏やかな良い人もおりました。が、そんな人でも ある期間勤めると

「ここらあたりで旅に出たいんですわー」とおっしゃる。だからあまり寄りかかる
事は 出来ない。こう言う人は あっち、 こっち、行って腕を研くのだ

だから 素人で 全然仕事が出来ない人が この業種に手をだすのは無謀なのだ、
よほどの経営手腕と財力があれば別だが・・・
何度も言う様だが現在の話ではない、30年程前の話です。

こう人は今、雇用されている店主より 自分を職人に育てあげてもらった「親方」の
存在が絶対である。職人の見習いは(ぼんさん)と呼ばれ筆舌に表せない程の苦労を
して修行をする。で なければ一人前の お金を取る職人には なれない。

それで 気難しい人が多いのだ。決して 板さん全体がそうだと言っているのではない。
私は この板さんや 仲居さんを束ねるのには ホトホト 疲れました。
よくこの様な内容のドラマあるでしょう?色々の出来事はブログには書き切れません。
 
知り合いの同業者の板さんも何年か勤めて「上がらしてもらいます。」と言って
自分の仕込んだタレやポン酢のビンを全部タタキ割って辞めたそうです。材料費は
雇い主が出した物なのに・・・

主人も お酒が好きなほう、どうしても よく呑みがち 夜は遅く子供の事も考えると
私は 考えました。こんな事してたら 家庭も主人もダメになると 意を決して

夫に頼みました。「もう、私達 お酒売る商売は やめとこ 儲からんでもええから・・・」
と言って 莫大な改装費も回収できないまま、割烹部門をやめる事を夫に納得
してもらいました。又 次の体制の為に大改装です。
商売、見た目ほど儲からないのが現実です。

私達の子供に継がせたくなかったのもこの思いがあったからです。

ほんとに規模と内容は違えども海千山千のツワモノ達を
束ねる難しさは国の舵取りと相通じるものがあるなと思います。

お商売の お方には理解して頂けるのでは・・・?

その後、私達夫婦と パートさん 学生バイトさんとで 28年
トータル41年間 営業して卒業したのです。
又 色々のエピソードも折に触れてUPします。

長くなってしまいました。最後まで読んで頂きありがとうございました。  

にほんブログ村 シニア日記ブログへ
スポンサーサイト
プロフィール

ぽぽ

Author:ぽぽ
❅❆❄❅❆❄❅❆❄
1943年生れの
 戦争遺児の私です。

満4歳で京都から母の
従姉妹夫婦の養女に出さ
れ大阪の子になりました。
子供の時からマケジ魂で
  生きて来ました。

41年間 寿司と仕出しの店を
営業・調理士もしていました
2010年に卒業致しました。

2012年12月31日まで
たんぽぽ娘と名乗っていま
したが「綿毛たんぽぽ」になる
時期が来ました2013年より
新しい芽吹きを目指します。 

最新記事
最新コメント
カテゴリ
月別アーカイブ
カレンダー
05 | 2011/06 | 07
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク
RSSリンクの表示
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。