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柔らか布地の手触りと・・・足踏みミシンの音や~い


2013/09/14/00:35(土)

私の娘時代は殆どの娘さんは洋裁学校や洋裁教室に通っていました。
「あんたはドレメ式か?」「私は文化式や・・・」等と良く話題に
なっていました。


原型の型紙を作る公式はもうスカッリ忘れてしまいました。


私は文化式の洋裁教室に通っていました。洋裁教室の先生は背の
高いかなりのお歳の方でした。何時も「袖」とか「エリ」と言う
時には必ず「お」を付けて「お袖」とか「おエリ」と


丁寧な言葉で話されていた事が印象に残っております。キット
洋裁と言う物に愛着をもっておられたのでしよう。


右の写真の水色の缶は
始めて買ってもらった
当時先端のキャビネット


収納式のジグザグミシン
のパーツ入れの缶です。
何故かこの缶はずーっと


今まで捨てる気になれず
私の側を今も離れません。
このボビンケースや小物も
当時の物でございます。


一緒に写っている裁ち鋏も52年経った今も私の裁縫箱に収まって
今も愛用しております。かなりみすぼらしくなっていますが今も
ちゃんと役立ってくれています。



私も真面目に3年間 週に2回くらいのペースで通いました。
ブラウス や タイトスカート等もならいました。

右の写真は私が
始めて作ったツーピースです。



写真もぼけた感じですし古い写真を
スキャンしましたら余計にぼやけた
感じで最早 修正する必要も無いと


思い大胆にも掲載
させて頂きました。


どなたがご覧になっても現在の私とは
気付く筈はありません。


何しろ52年前のお姿でゴザイマス・・・(オハズカシイ・・・)
勿論まだカラー写真等ありませんでした。


21歳で結婚するやいなや嵐の様な料理人&商人生活でした。
習った洋裁を生かす間もなくもう来年50年の金婚式を迎えます。


もうスッカリ習った事はオボロゲになってしまいました。
どうしてこんな事を思い出したのかと言うと



今月の2日くらいだったでしょうか何気なくネットの
ニュース記事を見ていると 渋谷の老舗洋裁生地店「マルナン」
閉店へ・・・と言う記事が目にとまりました。


何でも71年間も営業されていたとか・・・私は大阪ですからどんな
お店だったのかは知りません。そう言えば私の住んでいる街にも
何軒も洋服生地専門店は有りました。


ふと気付くと全部のお店が無くなっていました。全く気にも
留める事なく過ごしておりました。


このツーピースを作る時にも地元の老舗の生地専門店で出来上がり
を想像しながらワクワクして淡い若草色の生地を購入した事が鮮明
に思い出されます。


何でもて手作りした良き時代は遠くになってしまいました。
足踏みミシンの懐かしい音を又聞きたくなりました。



ワザワザ時間をかけて作らなくてもメイドインチャイナ製 等の
安い品物が溢れ本物の価値が解らなくなった人間の分布が
圧倒的に増えてしまいました。


勿論私もその中の一人でも有ります。



ЖЖЖЖЖЖЖЖЖЖЖЖЖЖЖЖЖ
御訪問ありがとうございました

ЖЖЖЖЖЖЖЖЖЖЖЖЖЖЖЖЖ

2013/09/14/00:35(土)

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「不合格?」青天の霹靂・我が子の入試の想い出


2012/12/10/23:28(月)

次女は意中の私学高校を目指しておりました。今から20年位前の
話しです。子供は3人おりましたからそれぞれに想い出はありました。


自分は教育に恵まれなかったものですから子供の希望はどんな事を
しても叶えてやりたい一心でした。


入試当日 どの子の時もポットに暖かい
飲み物を持参して試験会場まで同行
しました。


試験が終了して「手ごたえはどうだった?」
と聞くと「まぁ、まぁ出来た・・・」の反応でした。


「担任の先生もまぁ大丈夫でしょう」と言って頂いていたので
半分合格した・・・と思いました。


「まぁ出来た・・・」は他の人もそうだから反ってアブナイとは聞き
及んでいましたのでフッと不安がヨギリました。



発表の日は丁度 長女の結納の日でした。長女は妹に
「あんた大丈夫やろな~私の大切な日なに不合格は縁起がわるいで~」
と言っていました。


合格発表は今の様にネット発表なんかはありません。直接学校まで
行かなければなりませんでした。私は行けませんから長男に付いて
行ってもらいました。


無事 長女の結納の儀も終わり、宴席が始まる頃に帰ってきました。
結果は「不合格」でした。正に青天の霹靂でした。


みんな「キョトン」とした気持ちでした。本人は お姉ちゃんの
目出度い日でもありますので、明るく振舞っています。
元々その高校を選んだ訳はその上の大学を狙っての事でした。



私は「仕方がないやんか・・・次の大学受験で仇を取ったらエエンヤ!
それより、公立失敗したら・・・高校浪人になるで・・・後が無いで・・・」



とハッパを掛けました。一緒に結納の宴席で長女の婿の御両親
や親戚、や家族で明るく笑い飛ばしました。



お陰で次女は公立高校は無事突破・・・3年後目指した大学も合格
しました。それが、すべり止めが不合格で本命が「合格」でした。


危うく首の皮一枚の快挙でした。1年間のカナダ留学を終えて
再度大学に戻り英語の教育実習を母校の高校で終えました。


現在は教員免許も役立てる事もなく普通の主婦をしております。
2児のママです。この暮れは一家で大阪へ帰って来ます。


これから、受入れ体制が大変です。毎日夫婦二人キリの気儘な
生活ですから・・・でも、その大変を楽しもうと思っています。


最近何度か受験の話題が耳に入ってきましたので何だか子供達の
受験の時の事を思い出しました。もう二昔(フタムカシ)の前の事です。


大変な時ではありましたが今思えば親として華の時でもありました。


2012/12/10/23:28(月)


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通学路の小さな池から大変な物が飛び出したヽ(*゚O゚)ノ


2012/11/28/00:15(水)

私の中学生時代は元軍需工場跡を整地した道が通学路でした。
そこここに何人かの人がクズ鉄等を掘っている姿も見る事も
ありました。


終戦の年は私は1歳10ヶ月でしたから直接戦争と言う物の想い出は
ありません。私の身の上には戦争による影響はすでに4歳の頃から
受けていましたが、戦争の恐ろしさの実感はありませんでした。


みんなゾロゾロとその軍需工場跡を整地した舗装なしの道を
学校まで毎日徒歩で通いました。その道には幾つも小さな池と
言うか大きな水たまりが点在していました。


ある日の下校時、その中の
一つの小さな池に3本の


太い丸太でヤグラ組んで中央
に滑車を取りつけ何人もの
オジサンが作業をしています。


下校中の中学生はみんな
興味しんしんで池を取り囲みました。
オジサン達は別に私達を追い払う事もありませんでした。



池の水はポンプで汲み出されたのか殆んどありませんでした。
じーっと見ていると滑車に吊るされたロープだったか鎖だったか
の先に括り付けられた細長い物体がボコボコボコ~ッと出て来ました。


何と直径20cm~30cm位で長さ70cm~1m位の弾丸が出て来ました
完全な形です。みんなは「弾や・弾や」と囁き合いました。



その弾を取り出して池のはたに置くと弾と一緒に大きな「どじょう」
が飛び出してピチピチはねました。見た事もない大きさです。


太さ2cm位で長さは17・8cmはありました。みんなそれには
「でかっ!」と声を挙げました。そんな「どじょう」はめったに
見た事がありません。



その内 私達は何事も無かった様にそれぞれ家路につきました。
今、思い起こせば、現在ならば大騒ぎになる事だろうと思います。
その頃は昭和32年頃でした。


今調べて見るとその大きさは400~500ポンド爆弾くらい
だろうと思います。中学生の目測ですから確かな事は
言えませんが・・・


最近でも私が目撃した物より小さい物でも大騒ぎになった
ニュースもありました。


又他にも今年の10月29日でも仙台空港で発見されました。
丁度私が見た物と同じ位の不発弾ですそれで全便欠航になった
ニュースはマダ記憶に新しい物です。


こんなニュースに出会う度に
(あの時の弾丸は何の危険も無かったのかなぁ~)と思い出します。
あの頃の時代、危険だと言う認識がなかったのか・無頓着だったのか



知らないと言う事の恐ろしさは計り知れません。中学生が大勢
その作業を取り囲んで見学したと言う事実・・・
こわ~っ(((゚Д゚)))ブルブル



2012/11/28/00:15(水)


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実録!駆落ち奥様の顛末を**影絵の「ぽぽ」はミタ!q|;дσ)


2012/11/15/22:55(木)

昔から事実は小説より奇なりと言う言葉がありますが・・・衝撃的な
と言うかあまりにも稀な偶然を経験しました。


まだ30代始めの頃の話しです。でもこの偶然はその場だけで
終わった話しではありません。


京都の実母のとなりの奥さんの話しです。
その方は化粧品を扱う綺麗な人でした。


立派な御主人もおいででした。子供さんの
無い御夫婦でした。


私がその奥さんと出会ったのは私が21歳で
結婚の日取りも決まり色々な準備を始めて
いた頃でした。


その頃は良く実母の所へも行っていました。


実母は「ぽぽちゃん、お道具の鏡台に詰める化粧品は隣の奥さん
から購うたげてぇな~」と言いましたのでそうする事にしました。


行く度に「ぽぽちゃん来たはるの・・・」と声も掛けてくれました。
それから何年か経って母の家の前に学生アパートが建ちました。


その奥さん、何とそのアパートの大学生と訳有りになったと母の近所
では噂で持切りになったとの事です。歳の差は15歳以上です。


聞けば相手の学生さん、良い所の「お坊っちゃん」とか・・・
イケメンです。その内その奥さんは妊娠をされました。


赤ちゃんの父親は学生さんでしょう。かなりの高齢出産でした。
なぜか その御夫婦は普通に暮らされている様に見えたそうです。
でも、御主人は気付いていた様だと母は言っていました。


しかし赤ちゃんが成長する程に、誤魔化し様の無いくらい
学生さんに瓜二つでした。その内に奥さんと赤ちゃんと学生さんは
姿を消しました。俗に言う駆落ちです。




ある日私の店の自動ドアーが開きました私は「いらしゃいませ」と
反射的に言いました。御客様のお顔を見てお互いビックリ仰転・・・
「ぽぽちゃん!」・・・「★★さん・・・どうしたん?」


「ここ ぽぽちゃんとこのお店か?」・・・「そうです。」サスガに
逃げ出したりはしませんでしたが・・・何と駆落ちの奥さんです。


「お母さんに私の事 聞いているんやろ?」と聞きました。
私は内心動揺しましたが、別段何も反応しない態度をとりました。


奥さんは普通に買物をして出て行きました。




「世間は広い様で狭い」と昔からの言葉の通り・・・大阪も広いのに
まぁこんな偶然もあるもんやなぁと・・・複雑な気持ちがしました。


何と我が店と同じ町内のアパートに住んでいる様でした。それからも
度々店に来てくれました。何故かまだ御主人の姓を名乗っていました。
若い父親と親子3人で暮らしていました。


奥さんはナカナカ生活力があってそのうち居酒屋さんを始めました。
そこそこ繁盛して何年かは営業しました。


子供はいつの間にか中学生になって、父親とそっくりの顔をして、
すっかり我が 町内の子になっていました。


そうしてイケメンだった大学生はすっかり、オジサンになっていました。
実家にも勘当されたとの事、・・・親御さんの身になれば期待した息子が
学生生活半ばで こんな事になってどんなに落胆された事でしょう。




又、家庭を投げ出されて残された御主人の気持ちはどんなだったでしょう。
一度だけ・・・元の御主人が何かを探す様子の姿を店の近くで目撃した事
が ありました。


御主人は私の顔は良く知らない筈ですので知らぬ顔でやり過ごしました。


奥さんは私より15歳は年上だったと思いますが・・・住まいを変えて
も良く出前を配達しました。私は逢っても余計な話題は一切しません。


最後に逢った時は「身体の調子が悪い・・・」と漏らしていました。
歳よりも老けて見えました。それから何年か経ってから
「あの人亡くなったそうやで・・・」と何ヶ月も経ってから聞きました。


旅立ちには早い歳でしたが・・・私は肯定は出来ませんが
良くも悪くも貫き通した一人の女性の生き方を
何故か非難する気にはなれませんでした。


2012/11/15/22:55(木)



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小六 ё 少し異性を意識しました。(*/▽)) 内緒の話しはアノネノネ♪


2012/11/02/22:30(金)

昨夜小学校の同窓会の幹事会のお知らせのファックスが入りました。
来年は古希の同窓会の予定なので出席してほしいと書いてあります。


しばらくしてから「ファックス見たよ」と電話しました。


同じクラスの幹事の相棒です。
このお方、始めて告白しますが


小六の頃、何だか気になった
男の子でした。まだ子供でした
から好きと言うのではありません。



思春期の走りですかねぇ~



もちろん誰にも話した事はありません。彼も気付きもしません。
今はタダのオジさん・・・いやオジジになってしまって何の
トキメキも感じる事は出来ません。残念***



クラスには2人の人気のある男子がいました。一人は目鼻立ちの
整った美少年・それとファックスをくれた彼です。彼は美少年
とは言えませんが・・・私は彼の方が気になりました 少数派です。


でも私達の時代はそんな気配は
絶対誰も見せません。美少年の
方は私の好みではありません。


もちろん他の子は断然美少年派が
多かったと思います。でも私は
その子の性格がなんか嫌いでした。


私の気になる彼は寡黙で「硬派?」でした。お勉強も良く出来ました。


私はその頃 背が高くて腕力の強い女の子でしたからキット女子とは
思っていなかったと思います。


小六で成長が止まったのか今は156cmです。でも縮んでいるかも~



電話の中で、最近 訃報が入った優しくて か細い女の子の想い出話し
が出ました。彼はその子の、歩き方の特徴まで覚えています。
「よう覚えているな~」と言いました。 


「私はオテンバで女の子らしくなかったからなぁ~」と言うと彼は
即、「そうやったなぁ・・・」とスグの返事・・・


「何で そんな事は なかったと言わへんのん?」と突っ込みました。



「でも、悪の★★を ぽぽちゃん、押え込んでやっつけたやんかぁ~」
と彼、しょうもない事、よう覚えているんやなぁ~( ̄へ ̄)



しかし、来年古希を迎えるオジジとオババが小学生の時と同じの
「ちゃん呼び」をしてお互い異和感無く話しています。


寡黙だった気になる男の子は
ヤケに良く喋るオジジと化していました。複雑な感じやなぁ・・・


今日はオジジとオババの 色あせた思春期のたわ言でした。


2012/11/02/22:30(金)



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プロフィール

ぽぽ

Author:ぽぽ
❅❆❄❅❆❄❅❆❄
1943年生れの
 戦争遺児の私です。

満4歳で京都から母の
従姉妹夫婦の養女に出さ
れ大阪の子になりました。
子供の時からマケジ魂で
  生きて来ました。

41年間 寿司と仕出しの店を
営業・調理士もしていました
2010年に卒業致しました。

2012年12月31日まで
たんぽぽ娘と名乗っていま
したが「綿毛たんぽぽ」になる
時期が来ました2013年より
新しい芽吹きを目指します。 

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